空手でご飯が食べれないのは歴史を見ても明らか!?

”空手道を仕事に”を目的に運営している、この空手経営大学ですが、空手でご飯が食べれない原因を探るため、歴史の勉強をはじめました。

空手道の歴史は何かと謎が多く、はっきりと断言できない事象がいくつもあります。

諸説あるかと思いますので、その点はご了承いただきながら読んでいただければと思います。
また今回の記事では、空手での収入と歴史の関係の観点から述べていくので、空手の成り立ちなどの歴史は割愛させていただきます。

 

空手は皆さんご存知の通り、沖縄で生まれた武道です。
元来沖縄にあった「手(ティ)」と「中国武術」が融合し空手になった、という話は歴史を詳しく知らない空手家でも、なんとなくご存知ではないでしょうか?

琉球王国時代、沖縄は独立国として日本や中国、その他の国との交流が行われていました。
もちろん武の交流も行われており、日本剣術(日本刀の扱い及び、身体操作)も伝来していました。
他国の武の技術を取り込み、進化してきた沖縄武術ですが、鉄砲という当時の最新技術の前では歯が立たず薩摩侵攻を許してしまう結果となりました。

その結果、戦士階級以外は禁武政策として武器の所持を禁止されました。
戦士階級においても、刀剣の所持は認められましたが、薩摩への届け出を持って認可を受ける形となり、修理や維持は薩摩にて行うこととされました。
また琉球では鉄の産出がないため、自国生産ができず、完全に薩摩に武力管理をされているという状態でした。

ここから分かることは、軍事において薩摩に依存するため、貧しい琉球において武術は個々のたしなみレベル以上にはなり得なかったということです。
要するに、当時の琉球では武術は仕事にできなかったということです。

そのため、江戸時代の剣術道場の師範のような武術で生計を立てると言う習慣にならなかったということです。

 

もちろん極真空手のように生計を立てるに至った空手も存在しますが、歴史的に空手でご飯を食べていなかったということが分かりました。
伝統派をしている空手家において、”空手で金儲けは悪”というような風潮があったのは、こういった背景から固定概念が生まれたのではないでしょうか?

しかし現在の日本は、琉球のような貧しい国ではなく、個々のたしなみ(習い事)にお金を払う時代です。

その中でも伝統派空手だけが安いお金でしか経営しておらず、空手で仕事ができないという、当時の琉球と同じ状態です。

一般的に広がっている伝統派(寸止め)空手の認識を変え、伝統文化としての素晴らしさを伝えることができれば、空手の価値は高まると考えています。
そのためにも、今後も歴史にはしっかり目を向けていかなければならないと強く感じます。