”伝統派空手はなぜあんな遠い間合いで戦うのか”説明できますか?

伝統派空手の価値を高めるため、歴史から空手を見つめ直そうという意図で、最近は空手道の歴史について言及しています。

今回は伝統派空手はなぜあんな遠い間合いで戦うのか?について書いていきます。
今や伝統派空手界のスターと言っても過言ではない、堀口恭司選手も遠い間合いから一気に詰めるという、他の格闘技にはない異端なスタイル(伝統派空手では普通)で世界を相手に戦っています。

ではなぜ空手はこんな間合いで戦うのでしょうか?
近代の競技性が高まってからこのスタイルになったのでしょうか?

 

この先を読む前に、あなたなりの答えをイメージしてみてください。

まず私が歴史を知る前に考えた答えを紹介します。

”近代空手は寸止めルールの元、いかに速く有効技を繰り出すかに特化した競技性から、相手に触られない距離を間合いとして戦うようになった”

皆さんはどのような考えでしたか?よければコメントなどで教えてください!

 

答えは薩摩の示現流という剣術が関係しています。

剣術(武器術)があるときには必ず素手の武術が存在します。
なぜなら、常に武器がある状態とは限らないからです。
武器を取られた、落とした、折れた、様々な状況下でも素手で刀と戦う術として、空手(当初は手と呼ばれた)が生まれました。
余談ですが、日本では剣術(武器術)に対抗する素手の技術として柔術(柔道)が広まっていました。

日本の剣術界でもひときわ恐れられたのが、薩摩の示現流です。
示現流の特徴は、なんと言っても”一撃必殺”です。
そのために毎日素振りを1万本していたと言われています。

琉球王国は昔から日本本土とも交流があったので、こういった剣術も習得していました。
そのため、一太刀でも受けたら死んでしまうことが明らかということもあり、刀が届かない距離で、かつ相手が刀を抜く(刀を振る)より速く仕留めるために、空手道は遠い間合いから一撃で相手を戦闘不能にする術を極めてきました。

船越義珍先生(松濤流の開祖)の師でもある、安里安恒先生も「相手の手足を剣だと思え(だから当てさせてはいけない)」という思想を持っていたことからも、刀を脅威とし、それらとの戦闘を意識した間合いであることが伺えます。

近代空手では、組手で両者が攻撃を仕掛けない場合に「続けて」と試合を促します。
これはスポーツ化する上(観る楽しさ)でも必要な要素ですが、本来の空手では一発で決着がつくため、見ていて退屈なほどに互いに見合う時間が多くなることでしょう。(そのルールではオリンピック採用もなかったでしょうが・・・)

示現流との戦いで、遠い間合いから一瞬で近づき一発で仕留めるという想定をしていたからこそ、今の空手のスタイルになっています。

いかがでしょうか?
見学に来た保護者にこんな小話を一つするだけでも、空手道の”伝統”の部分に触れ、”なんかスゴそう”と興味を持っていただけます。
歴史を知ることは、空手の価値を高めることにつながります。