伝統派空手が弱いという風潮はいつから?

伝統派空手の価値を高めるため、歴史から空手の価値を探る記事を書いています。
これまでも様々な角度から、歴史と現代空手の関係性に触れているので、ぜひ読んでみてください。

 

今回は、”伝統派空手が弱い”という風潮になった原因を解明していきます。
おそらくこれを読む伝統派空手の方々の中には、「伝統派は寸止めだから強さではない」「現代に琉球のような人を傷つける武術的要素は必要ない」と考える方もいるかもしれません。

その方は、ぜひ以前の記事を読んでください。

 

結論から言うと、実用性としての側面とイメージ戦略の側面があります。

まず実用的な側面で言及すると、沖縄から日本本土へ渡った船越義珍先生が安全に大衆が稽古できるよう体系付けたということです。
これは空手道に限らず、どの武道・スポーツにも言えることですが、怪我が多くては大衆はそれを好んで稽古しません。
自分の子どもが顔中血だらけになる競技をさせたがる親はそういないはずです。

そこで空手の実用性より、普及に重きをおき、形を変え現代空手に変化させてきた側面があります。

一部の人間には、船越義珍先生の活動は武術に反するという意見もあるようですが、船越先生がいなくては、日本・世界中に愛好家を作る空手にはなり得なかったでしょう。
それに柔道でも禁止技があるように、どの武道でも同じようなことは起きています。

 

そしてイメージ戦略の側面で言えるのは、極真空手の存在です。

極真空手といえば、空手業界の中でも単価も高く、空手家として食っていく方も多く存在します。
極真は現代的に言うと、マーケティングが上手でした。

極真空手は、”空手バカ一代”と言うメディアを使って空手最強のイメージを作りました。
本当に頭いいですよね!

極真空手を広めていく際に、伝統派と対比し「寸止めではなく、当てる空手だから強い」と言うポジションを確立していきました。

逆に大衆は、「伝統派は寸止めだから弱いのか」と言うイメージを持つこととなりました。

 

一つ目の船越先生の要因は、空手を普及させる上で仕方のないことだと思います。

しかし二つ目の極真空手の要因はどうでしょう?
別に伝統派が弱いことの証明にはなっていませんよね?
これってだたの認識なんです。

最近では堀口恭司選手の活躍もあり、伝統派空手って強いのでは?と言う考えも広まりつつありますが、筆者が学生のときには「寸止め空手だから弱いんじゃないのか?」とよくからかわれていました。

結局周りが弱いと認識していては、いつまでたっても寸止め空手は弱いままだし、逆の認識を植えつけてしまえば、寸止めなのに強いと世論が変わります。

筆者は伝統派空手を”強いのに礼儀正しい”と言うポジションにしたいと考えています。
そうすることで、空手を習いたいと言う人口が増え、師範の需要も高まっていきます。
そのためにも、伝統派の実用性や文化を伝えていく必要があると感じています。