空手の歴史を学ぶことで、一つ一つの動作や決まりに価値を持たすため、歴史シリーズを行っています。
他の記事が気になる方は、右の「カテゴリー」から「歴史」を選択してみてください。
今回は、空手の礼法はなぜ左から始まるのか?ということについて言及していきます。
そもそも琉球の文化は、当時の日本や中国の影響を大きく受けています。
もちろん日本本土の侍文化も受けています。
侍の時代には、一度のいざこざでも命に関わることが多くありました。
そのため不意打ちに備えて、
・袴を履くとき
・裃や肩衣
・履物
こういったものは、全て左から始め、いつでも抜刀して右足から踏み込めるようにしておく必要がありました。
この動作は「治において、乱を忘れず」という武士の生活様式の一つです。
この考え方が、沖縄にも伝わり「首里は左から」という言葉で表されました。
実際、首里手の形である”ナイファンチ””パッサイ””クーシャンクー””セイシャン””五十四歩”などの形は、左側から身体を始動します。
いかがでしょうか?
道場生に対して空手の礼法を教える際に、こういった時代背景まで伝えてあげると、空手により文化性や深みが出てくるのではないでしょうか?
所作ひとつひとつにも歴史や意味があります。
それらを学ぶことも、空手道の価値を高めることに繋がります。
ぜひご参考ください。